構造革命の必要性
崩壊した土木構造物
東日本大震災では、地震動と津波の相乗被害によって、多くの土木構造物が崩壊した。決して、"想定外"の一言で済ませてはならない。これまで拠り所にされてきた計算や実験、長年の技術的常識に対し、大自然が下した壮絶な"実証"結果だからである。尊い犠牲を無駄にしないためにも、現実を真摯に受け止め、大きく技術革新を成し遂げなくてはならない。
← 大船渡市末崎町門之浜 (2011年4月7日撮影)
フーチング式のコンクリート堤防が根こそぎ削り取られた惨状。堤防の倒れ方を見ると、海からの押し波と、陸からの引き波のそれぞれの力で転倒した事がわかる。
構造の違いによる明暗
破壊された防波堤の中に、元の位置でそのまま原形を留めている構造物もある。例えば、この水門(写真左)。線状構造物の中で構造的に独立しているため、杭基礎でしっかり地球と一体化しているからだと考えられる。
一方、鋼矢板を基礎に利用していても、機能はフーチングと何ら変わらない場合もある(写真右)。2005年8月にハリケーン・カトリーナの洪水被害を受けたニューオリンズは、鋼矢板を用いた洪水対策壁の強度と地中への貫入深さが不十分だったため、支持地盤ごともぎとられて倒壊した。
参考被災状況の現地調査報告
当協会エンジニアを含む調査団が、2011年の4月と5月に東日本大震災の被災地を訪問し、土木構造物の被災状況を現地調査しました。構造革命の必要性を確信できる事例として紹介します。
1岩手県釜石市唐丹町小白浜漁港かまいしし とうにちょう こじらはまぎょこう
上部を車道、内部を通路にした、高さ十数メートルのコンクリート製防潮堤が倒壊している。一部が決壊すれば、防潮堤としての機能を果たさない上、被災後の復旧に向けた交通路としても役立たない。さらに、倒壊した構造物が重く巨大であるほど(写真右で人物と対比)、それ自身の復旧にも莫大な費用・時間・労力がかかってしまう。
2岩手県大船渡市末崎町門之浜湾おおふなとし まつさきちょう かどのはまわん
水門から連なる防潮堤が、海側に向かって倒壊している(大きさは人物と対比)。引き波の強さだけでなく、地盤に支えてもらっていない構造物の本質的な脆弱さを読み取ることができる。
3岩手県大船渡市三陸町吉浜おおふなとし さんりくちょう よしはま
↑( 写真にマウスポインタを重ねてください )↓
形状から試算して、約160トンの重量があると推察できるコンクリートブロックが4つもぎとられ、内陸に約20~50m滑動している。そのうち2つはひっくり返っており、転がりながら移動したことがうかがえる。
1岩手県下閉伊郡山田町織笠しもへいぐん やまだまち おりかさ
最後に、津波に耐えてそのまま残った構造物を紹介する。津波被害の解消・軽減を図るため、織笠川の河口付近に建設中(第一期工事)の織笠川水門と、鋼矢板二重締切工である。
( 写真にマウスポインタを重ねてください )
計画では、河口付近の両岸に防潮堤を築き、河川上の防潮水門と陸地の防潮堤で山田湾からの津波を防ぐ構造となっている。今回の津波に対する有効性はともかく、少なくとも3月11日までに完工していたら、多くの人命と財産が救えたかもしれない。工事を一刻も早く完了する「急速性」がいかに重要かを再認識した。
河口側から上流を臨んだ織笠の被災状況である。奥に見える高架橋は、2本の国道45号線の上流側である(下流側は下の写真)。低い位置にあった一般道路や鉄道の橋は、ほぼ流失した。写真中央の河川堤防は改築されぬまま破堤し、住宅地は壊滅状態である。それに対し、鋼矢板二重締切工とその中に建つ水門には、津波の爪痕がほとんど見受けられない。仮設構造物なのに無傷な鋼矢板壁と、破堤箇所に積み上げられた土のう壁の対比は、構造物として本末転倒の異様な光景に映る。
鋼矢板二重締切工は、下図のように地盤深く根入れされており、地震動や津波にも耐えうる構造である。これが堤防や防潮堤であれば、たとえ越波しても決壊は免れ、被災後もそのまま防災機能を維持できる。さらに、天端に覆工板などを敷けば、遭難者の捜索、被災者の救援、復旧活動などの作業足場や通行路として、大きく役立てることができる。